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JMM598M - 円高をどう考えるか?

以下、『Japan Mail Media』月曜版のNo.598に対するレビューです。

今週のJMM月曜版における設問は、「円高が進んでいるようです。以前、為替(外国)といえば対ドルでした。今は、ユーロが誕生し、中国元の存在感も増して、複雑になっている気がします。現在の円高を、どのように考えればいいのでしょうか。」というものでした。

     

その点について、多くの回答者が「実効為替レート」で判断すべきだと述べられていました。実効為替レートとは、私たちが普段テレビや新聞で目にしている特定国間の為替レートにだけ着目する名目為替レートとは異なり、諸通貨間における相対的な実力を考慮したものとなっています。

たとえばJMM598Mのなかで、真壁氏(信州大学経済学部教授), 中島氏(伊藤忠商事金融部門チーフエコノミスト), 山崎氏(経済評論家), 北野氏(JPモルガン証券日本株ストラテジスト), 土居氏(慶應義塾大学経済学部教授)などが、「実効為替レート」に言及されています。

その上で、現在の名目為替レート上の円高(対米ドル85円)は、実効為替レート上はそれほど憂慮すべき円高状況にはないということが述べられています。

     

たとえばJPモルガンの北野氏は、

JPモルガンの実質実効円レートをみると、2010年7月の値は、1970年以降の平均値とほぼ同じ水準です。現在の円レートは、円高でもなければ、円安でもありません。歴史的に見て、輸出企業にとって不利でもなければ有利でもない中立的な水準です。

とおっしゃっています。

また伊藤忠商事の中島氏は、

実質(実効為替レート)で見ると、現時点は2年ほど前よりは円高になっていますが、85年プラザ合意以降の円高期、95年の史上最高値の時、2000年のITバブル期よりも円安なのです。

と書かれています。その上で、今回の円高は輸出企業においては「競争力」の問題というよりも「予算達成」の問題が強いという見方をされています。

同様のことを慶應義塾大学の土居教授も指摘されていて、

この現下の円高は、日本経済の今後に暗雲を投げかけているとの見方が強くあります。一つの背景としてありえるのは、想定外の円高が急激に起きて、その備えができていなかった、ということでしょう。輸出産業では、1995年時の為替レートの水準に比べれば原価の円高は実質実効為替レートで見てそれほどの円高でい
といえども、名目為替レートで想定外の円高が起こることで海外での売上や利益が減るという実害に直面しますから、それはそれとして深刻です。

と述べられています。

     

一方、多少違った視点から分析されているのが外資系運用会社の金井伸郎氏で、金井氏は近年の通貨をパッケージとしてリスク分散する投資手法に触れられた上で、最近の通貨取引の動向は発行国のファンダメンタルズ(経済実態)よりも<投資家のリスク選好の動向によるポジションの拡大・縮小の影響が大きくなる>ということを述べられています。その上で、日本の経済実態の良し悪しに関わらず、市場のリスク回避の役割として反射的に円が買われているとのことです。

   

また今回の設問に絡んで、生命保険関連会社勤務の杉岡氏やメリルリンチ日本証券のストラテジスト菊地氏などは、現在のように欧米を含む世界的な経済状況が悪化しているなかで、そうした円が負っている役割を人民元が本来は果たすべきだということを付け加えられています。

   

こういった議論とは別に、経済評論家の山崎氏による「円高でメリットを享受する利益集団とは?」といった設問を立てておられますが、氏によればそれは公務員だということです。

解雇の心配がなく、収入におけるマイナスの変動が極めて少ない公務員とその配偶者にとっては、円高は実質収入増となるというわけです。

このこと自体は当然といえば当然のことで、同様の議論を別のところで見かけたことがありますが、とはいえ「円高」を考える上では大事な指摘だなと思いました。

     

以上。

JMM597M - 有効と思われる景気対策とは?

以下、『Japan Mail Media』月曜版のNo.597に対するレビューです。

     

まず、今回の設問である景気対策についてですが、

本日16日は内閣府による2010年4-6月期のGDP速報値の発表がありましたので、たとえばNHKの19時台のニュースや夜の民放報道番組などにおいても、その発表に合わせた内容が組まれていました。

具体的には、現在の景気状況がどういった局面にあるのかという問いに対する専門家・識者の分析、また政府による景気対策としてエコポイント制度による家電業界の活性化や、エコカー補助金による自動車市場、あるいは子供手当てをターゲットにしたビジネスなどが紹介されていました。

そんな中で、本日配信のJMMでは「有効と思われる景気対策とは?」という設問があるわけです。

     

さて、その内容をざっくりレビューします。

     

まず、信州大学経済学部教授の真壁昭夫氏は、「金融政策」・「財政政策」・「規制緩和」という3つの観点から回答されています。

真壁氏は、金融政策に関しては現在の日本経済の状況下では期待できないとし、財政政策と規制緩和政策の2つの景気対策の長所と短所を解説し、その上でうまくミックスして施策することが重要だと述べられています。

     

日本語学校教師で評論家の水牛健太郎氏は、「有効と思われる景気対策」という設問に対して、いわゆる「小さな政府論」を展開し、規制緩和を提言しています。

     

一方、伊藤忠商事金融部門チーフエコノミストの中島精也氏は、’08年9月のリーマンショック以降において政府が実施してきた財政・金融政策に一定の評価を示しています。ただし、これまでの相当規模の景気対策と現在の財政状況を考慮すると、また成長期待が低下しており設備投資などの資金需要が高くないことも含めて考えると、財政・金融政策として「有効な」景気対策を打つことは難しいと判断されています。

     

BNPバリバ証券クレジット調査部長の中空麻奈氏は、政府が取りうる景気対策のなかでも特に「規制緩和」に対して、それが観光に対してなされるのか、流通障壁に対してなされるのか、対象によって景気対策としての「有効性」がずいぶん違ってくるという点を指摘されています。

     

JPモルガン証券日本株ストラテジストの北野一氏もまた、財政金融政策には景気循環を均すという短期的効果しかないとして、「規制緩和」についての議論を展開されています。しかし一方で、内閣府が実施している「国民生活に関する世論調査」のデータをもとに、国民の側からは「規制緩和」への期待がそれほど高まっていないことを指摘してきます。

    

一方、上述の論者達とは異なり、生命保険関連会社勤務の杉岡秋美氏は、「規制緩和」が差し迫った需要不足という課題の解決には「有効性」が低いなどとして、積極財政+超金融緩和政策がもたらす可能性のある、それらの景気対策としての「有効性」を提言されています。

     

メリルリンチ日本証券ストラテジストの菊地正俊氏の回答は明確で、「円高に歯止めをかけること」です。

ところで、菊地氏も上記北野氏と同様に「国民生活に関する世論調査」を例に、国民側において政府に対する具体的な「景気対策」がないという点を議論されています。

     

金融機関勤務の三ツ谷誠氏は、上述の論者達とは全く異なる視点から回答されています。その提言とは、「道州制の導入」と「遷都の宣言」です。それらの議論自体は珍しいものではありませんが、「景気対策」に絡めて述べられている点が面白いです。興味が向いた方は『JMM597M』をご参照ください。

     

全部紹介するのは疲れますので、レビューは以上とします。上記以外にも、「法人税の廃止」などの提言や、金融政策・財政政策・規制緩和に関する興味深い議論が行われていました。

Japan Mail Media

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メディア紹介No.013 - 『Japan Mail Media

<スペック>
運営者: 株式会社グリオ
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形式: テキスト
フィールド: 経済, 金融, 時事, 海外
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<紹介文>
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基本的に、経済・金融の時事的な事項について村上龍氏が問題提起し、エコノミストや大学教授、弁護士・評論家などが回答するという形式で毎週月曜日に配信されています。
金融・経済に関して日々のニュースより少し掘り下げた情報を強化する、という点で利用価値のあるメディアだと思います。
また、上記金融・経済の配信とは別に、USA-ニューヨーク, オランダ-ハーグ, デンマーク, 中国などの海外在住寄稿者からのレポート・エッセイも週刊で受信することができます。
上記PC用サイトからメールマガジン登録ができます。
情報取得に要する時間は、それぞれで異なりますがだいたい10分-15分というところだと思います。
購読無料ですので、ぜひ一度お試しください。

 

<プレビュー>

JMM金融・経済における今週の配信は、<世論調査において約7割の人が優先してほしいと考えている日本政府による「景気対策」について、有効だと思われる策は何か>でした。レポートは別途エントリーで上げますので、興味のある方はタグ”JMM”でご参照ください。なお、次回の配信は2010年8月23日(月)です。

次週のテーマは、

円高が進んでいるようです。以前、為替(外国)といえば対ドルでした。今は、ユーロが誕生し、中国元の存在感も増して、複雑になっている気がします。現在の円高を、どのように考えればいいのでしょうか。

です。

 

以上。

学校教育制度と職業訓練

8月5日の日経新聞Web刊によると、今春の大学新卒者の就職率が60.8%であったことが明らかになったそうです。これは就職氷河期と呼ばれるバブル崩壊後から2005年までの期間に匹敵するほど低い水準です。なお、大学卒業後に進学も就職もしなかった人は約8万7千人です。

 

彼らの世代は1987年生まれで、135万人いました。そして、今年大学を出て就職できたのは32万9千人だといいますから、1987年に生まれた彼らのうち、高校⇒大学へと進んで就職した者は全体の25%程度だということになります。

たとえば1991年時の大学新卒者における就職率は81.3%を記録していますが、就職者数は34万8千人で1987年世代と大差ありません。ちなみに彼ら1968年生まれの世代は187万人いたので、高校⇒大学へと進んで就職した者は全体の18%程度だったということになります。

 

ついでにもう一つ数字を挙げるなら、大学新卒者における就職者数は1990年以降30万人から35万人の間を推移しています。

つまり、<不況で企業が採用を絞った影響で、就職をあきらめた人も多かったとみられる(日経新聞8月5日>や、<一昨年秋のリーマン・ショックを受け、企業が新卒採用を大幅に抑制したためだ(MSN産経ニュース)>にあるような、いわゆるリーマン・ショック後の企業の急激な採用減という「不況の影響」などに関わらず、そもそも50万人を超える大卒者を雇うだけの雇用規模は日本には今もかつても存在しないということです。

大学新卒者の就職率は1955年以降つねに7割を超え、1960年から1968年までは8割を超えていました。まさに高学歴=高就職率という時代ですが、そんな時代を生きた世代の子供たちは今、激しい競争に晒されています。

そして、全入時代だなんだといわれて60万人を超えた2009年度の大学進学者たちは、今大学2年目の夏を迎えていることになります。

      

とはいえ、私は彼らの将来に高い関心をもっているわけではありません。

ここで考えたいのは、学校とは何か、ということです。

端的にいうと、それは「国家」が用意した「国民」を創り上げるための「制度」に他なりません。

     

たとえば批評家の柄谷行人氏は、学校教育制度について<近代日本の「義務教育」が、子供を「年齢別」にまとめてしまうことによって、従来の生産関係・諸階級・共同体に具体的に帰属していた子供を抽象的・均質的なものとして引きぬくことを意味した>と言っています(『近代日本文学の起源』)。

つまり、近代以前においては商人の息子は商人として、農民の息子は農民として、鍛冶屋の息子は鍛冶屋として、私たちが現代では「子ども」と見なす早い年齢のうちから職業訓練に従事させられていたということです。そして、そのような「子ども」たちを強制的に引き抜き、学校に帰属させることが「近代日本の義務教育」の始まりであったということです。

そして、柄谷氏は<徴兵制と学制が、「人間」を作り出したのだ>と言います(同上)。この「人間」とは近代における概念としての人間であり、「国民」と言い換えても構わないでしょう。

       

本来、義務教育(小・中学校)と高校・大学とは別物です。ただ、そういった原則論とは別に、小・中・高を含めて一つの学校教育制度と見なし、大学もその延長線上にうっすらと見えているというのが今の世間的な実状でしょう。

とはいえ、そのような実状として延長されつつある学校教育制度と、「就職」とがラインとして綺麗に繋がることは二つの理由から原理的にあり得ません。

 

その理由の一つは、学校教育制度が「制度」であることがくるフットワークの重さです。

目まぐるしく変化する経済社会において必要とされるスキルを学校で教えることはまず不可能です。未だに社会見学と称される授業の一環として「食品工場」を見学しに行くくらい、学校というところは実社会から遅れているのです。また、実社会経験のない教師がわんさかいるくらい、学校というところは社会から離れています。

そんな学校教育制度に訓練を求めたところで、30年後に「名刺の渡し方」が必須項目になるくらいのタイムラグは目に見えています。

もう一つの理由は、そもそも学校教育制度とは、将来的に起業したり、高い経済的価値を生み出したりするような人材を育成する場ではないということです。先に述べたように、学校教育とは「国民」を創り出すための制度なのであり、この「国民」とはたとえ「日本国民」であっても、けっして経済社会で優れた能力を発揮する人材とイコールではありません。むしろ、資本主義経済の価値基準と、国民国家における国民の価値基準とは互いに相反するものなのです。

ところで、そのような「国家」や学校教育制度において職業訓練を取り入れようという議論があります。たとえば『Japan Mail Media』において肥和野 佳子さんという国際税務士の方が、「米国の解雇」という記事で次のように書いています。

「雇用を守る」ということに関しては、いろいろな考え方があると思うし、様々な意見があって当然と思うが、従業員の生活を守るのは本来的に企業の役割だろうかということを、真摯に考えてみるのも良いと思う。解雇された人の生活を守るのは、本来国の役割、社会福祉の役割であり、日本の経済成長の時代は企業が余剰人員を解雇せず抱えて、肩代わりしてきただけという考え方もある。国が企業に解雇を難しくさせることで、ほんとうに労働者の働く環境は全体として良い方向に向かうのだろうか。解雇された人を一定期間経済的に支援し、職がみつからない人にあらたな訓練を保証し、労働市場で売れるスキルを付けさせるのが国の役割だろう。何も訓練されないまま、売れるスキルも持っていなければ仕事が無いのは当たり前。こうした就労再教育を北欧諸国のように、もっと充実させるべきだろう。

たまたま直近で上記の記事を見たので取り上げましたが、こういった考えは肥和野氏に限ったことではなく、色んなところで見聞きします。

しかしこの記事で書いてきたように、職業訓練を「国家」に求める事は根本的に大きな間違いなのです。学校教育制度に職業訓練を組み込んだり、失業者への職業訓練を実施したり、そういうことを国に求めるのは少なくとも役所の仕事が税金に見合ったレベルにあると実感できるまでは避けるべきでしょう。

     

それでは職業訓練というものをどう社会に組み込んでいくべきでしょうか。

その一つの方向性としては、先に挙げた肥和野 佳子さんの同じ記事の中でも言及されていますが、まずは労働市場の流動性確保だと考えられます。

上記記事で引用したのとは別の部分で肥和野さんも述べられていますが、解雇が容易だということは、裏を返せば再就職先が多いということです。労働市場が流動化し活発化すれば、労働者を商品とする企業にとってこれまで以上に事業を展開していくことが可能となります。つまり、労働者という商品の「リユース」・「リサイクル」という観点で職業訓練を捉えるということです。

     

今多くの転職サービス会社で行われているものは、悪く言えば労働者という商品を企業から企業へ横流しするだけでマージンを取るというビジネスで、実は扱っているのは労働者ではなく情報です。

たとえば以前は年収300万円だった会社員に対して、30万円のコストを自社負担して英語を学ばせることで年収400万円へと商品価値を高める、というようなことはほとんどありません。

その理由の一つに、このキャリアにそのスキルが加わればいくらで売れる、という見通しが立たないからリスクが大きすぎて出来ないということがあると思います。そして見通しが立たないのは、市場規模が十分に大きくないからだと考えられます。

たとえば「英語が話せて、アルバイトスタッフの管理経験があり、○○○で、×××な人。年収450万円」というポストが毎年平均して全国で1,500名前後の求人がかかる、ということが見通せるのであれば、上記の会社員に対する職業訓練の例のような事業は成り立つでしょう。

     

もちろん、労働市場の流動性だけを高めれば良いという訳ではありません。硬直した労働市場には、それ相応の文化的背景が必ずあるのです。

たとえば、Job DescriptionもしくはJob Profileという言葉が日本の雇用文化で広く浸透していない、ということの背景のことであったりします。

 

ただ確実なことは、これまで日本で育まれてきた新卒主義や企業内OJTといった雇用文化が、今やうまく機能しなくなりつつあるということではないでしょうか。

そして、いずれにしても職業訓練なるものを「国家」に任せてはいけない、ということです。それはあくまで民間が担うべきもので、「国家」行為として議論すべきことは、民間企業が労働者を「我が社の」商品として扱うインセンティブをもてるように、いかに規制や補助制度などを整備するか、という点に尽きるのだと思います。

 

以上。