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動物化するポストモダン

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書) 動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)
東 浩紀 by G-Tools講談社 2001-11-20
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フランスの哲学者リオタールによって「大きな物語の凋落」と指摘されたポストモダン。

そうした「大きな物語の凋落」後の時代において、どのような文化的・社会的状況が現れているか。
それが本書の主題です。

著者の東氏は、そのような主題に対して「オタク」をモチーフに言論を展開されています。
大塚英志氏や中島梓氏といった批評家によってなされたオタク論・消費社会論の引用。またボードリヤールやコジェーブといったフランス哲学を援用しつつ、「データベース消費」や「動物化」といった概念を用いて氏はポストモダン論を展開しており、そのモストモダン的状況をもっとも良く説明し得る対象としてオタクを「詳細に」取り上げているのです。

コミックマーケットに56万人が来場し、ニコニコ動画の有料会員数が100万人に迫るなか、国外で日本のサブカルチャー文化がもてはやされるなか、すでに「オタク」はマイノリティとして無視できない存在となっています。

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定本 物語消費論

定本 物語消費論 (角川文庫) 定本 物語消費論 (角川文庫)

大塚 英志 by G-Tools角川書店 2001-10

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『定本物語消費論』は大塚英志氏の著作で、’89年に刊行された同氏の『物語消費論』を加筆・訂正し、「補」を新たに加えたものです。

大塚氏は当時子どもたちの間で人気だった「ビックリマンチョコレート」なる商品に着目し、その消費行動を支えている背景へと考察の目を向けます。それは、個々の商品ではなく、それらの商品群を通して現れる一つの「世界観」が消費されている、というものでした。

そして、そうした「世界観」は送り手によって一方的に構築され与えられるものではなく、商品一つ一つに付されたシールに刻印されている情報の断片をもって、消費者自身の手で創り上げられていたのです。

フランスの社会学者ボードリヤールを引用しつつ、また柳田民俗学における近代以前の日本を対象とした物語論を紹介しつつ、大塚氏は現代消費社会の置かれた状況を「物語消費」という概念を用いて説明しようと試みています。

この本によって示されている大塚氏の消費社会論やポストモダン論、サブカルチャー論は、たとえば東浩紀のような後の研究者へと連なっていきますが、今から20年前に記されたこの『物語消費論』は、今でも有効な一つの参考文献として必読でしょう。

ちなみに、大塚氏は本書において、すでに現在のワンピース・ブームを具体的に予見されています。

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マーケティングの神話

マーケティングの神話 (岩波現代文庫) マーケティングの神話 (岩波現代文庫)
石井 淳蔵 by G-Tools岩波書店 2004-12
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本書における、商品をその性能や価格ではなく、文化的価値を有する「記号」として捉える見方は何も新しいものではありません。
     
本書が優れているのは、そういった記号論的な商品分析・消費行動分析を「企業側」の目線で行なったという点にあります。
そのあたりはさすがに経営学を修められただけあって、文芸出身によって語られる現代思想にはないリアリティがあります。
     
当時主流であった、科学的に、論理的に消費行動にアプローチしようというに対して、ボードリヤールのような危うい思想家を引用しつつも果敢に「現場」的であろうとした著者には深い感銘を覚えずにはいられません。
     
「最新の○○○マーケティング」などと書かれた本を10冊読むよりも、本書を何度も読み返すほうがよっぽどマーケッターとしての資質が磨かれると思います。

ビールが象徴するもの

“モーニングスター”というサイトで、「生き残りをかけるビール業界」という記事があがっています。

日本国内に関しては、アサヒとキリンという大手の株価推移を取り上げながら、全体としてビール各社が苦境を強いられているという論調で記事が書かれています。

日本におけるビールの歴史は江戸時代にまで遡るほど古いものですが、「今」どのような消費文化が形成されているか、という点を見ることが今後を見通すうえで重要となってくるでしょう。

 簡潔に述べるなら、今日本において「ビール」という商品の消費はサラリーマンという集団のもつ二つの文化・ライフスタイルを象徴しています。一つは家族間コミュニケーションに積極的ではなく、御茶の間ではテレビで野球中継を観戦してきた高度経済成長期における「父」の在り方。もう一つは日本の企業文化における未だに強い同期生意識と上下関係、そして会社への高い帰属心です。

前者はビールの家庭内消費と結びつき、後者は外食におけるビールの消費を結びついてきました。たとえばプロ野球とビールとは強い関連性をもって一つの文化を形成してきました。プロ野球観戦では今でもスタンドで売り子によってビールが売られている光景を見ることができますし、優勝チームにおいて祝勝会でシャンパンファイトならぬ「ビールかけ」が行われます。

テレビと冷蔵庫の普及が進んだ1960年代以降、仕事を終えて帰宅したサラリーマンが、ビールを片手に野球中継を観戦するという一つの御茶の間文化が日本において形成されており、2000年頃までは巨人戦の平均視聴率はおよそ20%だったといいますから、それがいかに日本の至る所で見られた光景であったかは想像に難くありません。

もちろん、そのような文化・生活スタイルはビールという一個の商品カテゴリーにだけに象徴されているのではなく、つまみやちゃぶ台、野球中継時の広告枠など他の多くの商品群とともに、相補的に発展してきたものです。

 

言語学者のソシュールは、言語の本質を「意味するもの」と「意味されるもの」の結合に見出しました。つまり、言葉の意味はアプリオリにあるのではなく、差異体系における示差的な関係として現れるというのです。

またフランスの思想家であるボードリヤールは、現代の消費社会において、モノは使用価値としての物理的属性だけでなく、一つの記号として文化的価値を消費されているといっています。

こうした考えは今や新しいものではなく、たとえば人類学者のグラント・マクラッケンは、車/パソコン/洗濯機のような機能性分類ではない、モノの文化的側面に注目したときに形成される商品群を指してディドロ統合体という概念を用いて説明しています。

 

商品(モノ)は、社会内で生産・流通・消費されていく過程において「意味」を獲得します。誤解を避けるためにより正確に表現すると、社会内における商品(モノ)の生産・流通・消費は「意味」の発生を必ず伴うのです。若者のビール離れは、ビールという商品消費における文化的背景の変化を示していると考えられます。マクラッケンに従って表現すると、ビールという商品を部分にもつ一つのディドロ統合体が失われつつあるということになるでしょうか。

簡単に言うと、「ビールなんてオヤジの飲み物で古臭いよ」ということですが、企業側にとってはその程度の認識ではすまされない状況があります。

仮に、もし「若者向けの新しいビール」なるものを作ろうとしている企業があるならば、やめておいたほうが賢明でしょう。「ビール」という言葉のもつ意味(それが連想させるイメージ)もまた、ディドロ統合体に含まれているのですから。全く新しいブランドの確立、つまり商品・流通・価格・プロモーション、すべてにおいて刷新しなければ、「ビール」を含むディドロ統合体の意味体系に結局は回収されてしまうことになります。

アルコール飲料メーカーにとって苦しいのは(他の大企業も同じですが)、国内においてかつてビールが創り上げたようなマス・マーケットがもはや存在しえなくなりつつある、という点でしょう。人々の趣味・趣向・価値観が多様化していく現代にあたって、以前のように莫大な利益をもたらすディドロ統合体は国内的には成立し得ないのです。

大企業にとって取り得る選択肢は多くありませが、キリンとサントリーの経営統合が破綻した今となっては当面国外マーケットに大きく打って出ることは厳しくなったと言わざるを得ません。

逆に言うと、けっして大きくはない企業にとって、あるいはこれから新規参入しようという企業にとって、今こそチャンスが広がっている時代は戦後以来この国にはなかったのではないか、とも捉えることができるのではないでしょうか。