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Mac People 12月号

Mac People (マックピープル) 2010年 12月号 [雑誌]
Mac People (マックピープル) 2010年 12月号 [雑誌] アスキー・メディアワークス 2010-10-29
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Mac People 12月号は、マーケティングに興味がある者ならぜひその手にとってみるべき一冊に仕上がっています。

なぜなら、「Mac People 15年の軌跡」と題してアップルの歴史が年表として並べられ、その時々に販売された製品がつぶさに紹介されているからです。

 

マーケティングを学び、そして実践していく上で、スティーブ・ジョブズという人物およびアップル社への関心を欠かすことはできません。

   

本誌表紙に時系列上に並べられたアップル製品を眺めてみると、一つのことにすぐ気が付きます。

それは、アップル製品のデザインが、2000年にはすでに現在に通用するものとして完成されていたという点です。まだmixiもTwitterもなく、「ブログ」という言葉さえ日本国内でほとんど誰も知らないようなインターネット黎明期に、すでにジョブズの頭の中にはアップルブランドの明確なイメージがあったということになります。

   

私の個人的見解ですが、ジョブズはマーケティングの天才でも経営の天才でもありません。

ただ彼には、人種・国籍・宗教・性別を超えて世界中の人々を結びつけ繋ぎとめておく、ある種の「想像力」があります。

そんな彼の「想像力」の一端を知る資料として、Mac People 12月号は一つの良い素材になっていると思います。

  

  

以上。

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PRIME NEWS2010年8月24日放送分

以下、PRIME NEWS2010年8月24日放送分<保守的で内向きな若者 その弊害と改善策とは>に対するレビューです。
     

    

24日放送分のPRIME NEWSでは、『なぜ若者は保守化するのか』の著者である山田晶弘氏をスタジオに招いて、ここ数年における若者の安定志向について議論するというものでした。

   

全体的には、「若者の保守化」とは何なのか、それは確かに起こっていることなのか、という点に多くの時間が割かれていたような気がします。

といいますのも、まず番組冒頭で下図のような資料が提示され、それらに基づいた山田教授ともう一人のゲストの方が「若者の保守化」について所感を述べられていました。

しかし、上図のデータや、もう一つの例として挙げられた産業能率大学の調査資料に対して、早稲田大学政治経済学部教授の河野勝氏が批判的見解を示します。その批判とは、これらの資料は産業能率大学や日本生産性本部といった団体のプログラムを受けている人にしか回答権限がない調査資料で、「日本の若者」の傾向を示す資料としての代表性に欠ける、というものでした。

そして、「日本の若者が保守化している」というメッセージを大々的に出したいのであれば、全国を対象としたデータがあって当然だ、という河野氏に対して、山田氏はほとんど回答になっていない回答で、しどろもどろになってしまっておられました。

     

はっきり申し上げますと、この時点で24日放送のPRIME NEWSは実質的に終了しました。

タイトルから想像するに、「若者の保守化」を前提にその弊害と改善策を議論するという趣旨で構成された番組であったと思われますが、前提そのものが早々に崩れてしまったため、その後の議論の多くは「若者の保守化」という主張の妥当性に関するものであり、山田氏は客観的で有効なデータをお持ちでないということだけが示され続けました。

    

このように、「パラサイトシングル」や「婚活」といった個々の特殊事情を無視して一括りにし、マスメディアとの連携プレイで話題づくりをして著書を売って儲け、さらに内閣府男女共同参画会議民間議員である山田昌弘氏の胡散臭さが明らかになりましたが、その点において、24日放送分のPRIME NEWSは報道番組として非常によく出来たものでした。

     

以上。

現代思想2010年8月号

現代思想2010年8月号 特集=ドラッカー マネジメントの思想 現代思想2010年8月号 特集=ドラッカー マネジメントの思想
P.F.ドラッカー 上田 惇生 マーシャル・マクルーハン by G-Tools青土社 2010-07-26
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ドラッカーは自己調整的市場というフィクションを公然と非難する上でポランニーに従っていない。ドラッカーは経済的手段と目的とが他の全てのものの上に位置する社会を確立することの危険性を認識していたが、彼はまたその利点も見ていた。

     

2010年8月号の現代思想ではドラッカー特集が組まれています。

本書では、それぞれの論者が、さまざまな切り口でP.F.ドラッカーを論じています。
全般的には、ウィーンの裕福な家庭に生まれながらも、二度の大戦とファシズムを経験したドラッカー氏の生涯や、ポランニーやシュンペーターなど多岐に渡る知的交流によって育まれたその思想的系譜、そしてドラッカー思想の日本における受容の歴史とその今日的意義など、本書を読めばそれらのことはだいたい把握できるでしょう。

     

中でも個人的に興味深かったのは、ポランニーとの関連性(差異)においてドラッカーを読み直そうとするダニエル・イマーヴァール氏の『市場と国家、そして株式社会』。また、日本で多くのファンによって読み継がれてきたドラッカー氏の言説と、実際の働く場の実態とをつぶさに検証した伊原亮司氏の『ドラッカーの働き方に関する言説と働く場の実態』、そして「マネジメント」なるものを方法論としてではなくイデオローグとして検討した樫村愛子氏の『「もしドラ」のストーリテリングとマネジメントの社会学/精神分析学』です。

     

また、マクルーハンによるドラッカー論や、1970年になされたドラッカー氏へのインタビュー『コンサルタントの条件』なども収録されており、読み応えのある内容となっています。

     

日本において三度目のブームと言われている今日のドラッカーブームですが、『もしドラ』によって喚起されたドラッカー思想への関心を、さらに踏み込んだ理解へと進めるためのものとして、ぜひ読んでおくべき一冊だと思います。

『世界共和国へ―資本=ネーション=国家を超えて』のレビュー

世界共和国へ―資本=ネーション=国家を超えて (岩波新書) 世界共和国へ―資本=ネーション=国家を超えて (岩波新書)
柄谷 行人 by G-Tools岩波書店 2006-04
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「新自由主義」とはアメリカ的なものを指しており、”自由”に重きを置く一方で、”平等”を犠牲にするものです。それは、たとえばアメリカでは年俸何十億と稼ぐ一流アスリートやCEOがいる一方で、同じアメリカ南部においては貧困が存在しているということに表れています。

     

基本的に自由と平等はトレードオフ(どちらかを重視すればどちらかが軽視されてしまうシーソーのような関係)にあり、かつては新自由主義(自由重視・平等軽視)に対する強固なアンチテーゼとしてソ連を中心とした共産圏(平等重視・自由軽視)がありました。
しかし、共産圏崩壊後の今日において、世界中で「新自由主義(=アメリカ的なもの、資本主義的なもの)」が絶対的なものとして君臨してしまっています。

     

一方そのような新自由主義への新たな対抗として、各地で宗教的な原理主義という形をとった排外的な運動が起こっています。いわゆる大手メディアで「テロ」と呼ばれるものがそれにあたります。
本書著者の柄谷氏によれば、そのようなファンダメンタリズムは、結局は社会民主主義に行きつくほかにない、つまりその理念を現実にしていこうとするとケインズ主義的な福祉国家モデルに帰着するしかないのだといいます。
しかし、福祉国家のモデルは、いわば戦後の「社会主義」への危機感から先進資本主義国家がとった形態であって、「社会主義」圏が崩壊してしまうと、先進資本主義国家にとっては、福祉国家への動機はなくなってしまいます。

     

「社会主義」は崩壊し、宗教原理主義も対抗できないのだとすると、いかにして世界は新自由主義に対抗する有効策を持ち得ることができるのでしょうか。

それが本書における主題です。

     

上記の問題意識に対して柄谷氏は、本書でカントによる「世界共和国」の理念を提示します。
その「世界共和国」がどのようなものかについては本書をご参照いただきたいのですが、その際に重要なのは、そのような「世界共和国」の実現が可能か不可能かということではありません。

     

それが不可能だとして退ける一方で、それに代わる有効な「理念」を示し得ず、むしろ「理念」というものを「大きな物語」として軽視し、ただただ現実を肯定するしかない「モダニズム」を柄谷氏は批判しています。

     

重要なのは、実現が可能か不可能かではなく、そこへ「至ろうとする」ことです。人々がそこへ至ろうとする「理念」を持ち得ることだけが現在の新自由主義に対抗できる唯一の有効策なのであり、それこそがカントのいう「統整的理念」であり、「世界共和国」なのだと柄谷氏はいいます。
またその「世界共和国」へと至る道筋を示すことこそが本書において柄谷氏が試みた仕事です。
言うまでもありませんが、それは、そこへ「至る」ための道筋なのではなく、人々がそこへ「至ろうとする」ための道筋です。

     

以上。

PRIME NEWS 2010年8月23日放送分

以下、『PRIME NEWS』2010年8月23日放送分、「どう動く! 迫る代表選」のレビューです。

23日(月)のPRIME NEWSでは、鳩山前首相をスタジオに招いての、民主党代表選挙への展望が議論されました。

途中までしか視聴していないのですが、印象に残ったのは西岡参議院議長による「政治に残された時間と余白はあるのか」という声明です。これは当放送と同日23日に、国会内でわざわざご自身によって開いた記者会見の場で、あらかじめ用意しておいた文章を読み上げる形で述べられたものです。

     

下記添付写真は、番組内における上記声明を要約したフリップです。

この声明のさらなる詳細は、こちらをご参照ください⇒『民主党代表選と西岡参院議長の「正論」と』(国を憂い、われとわが身を甘やかすの記)

さて、上記声明に対する鳩山前首相のコメントですが、簡単に言うと、「政策内容の相違ではなく、政策を実現していく能力を巡って代表選が戦われることもあるのだから、負けたからといって必ずしも離党しなければならないわけではない」というようなものでした。これは、上記声明のなかに「代表選に出るということは、自らの政党の現政策・理念に異を唱えることだから…」という趣旨が含まれていたことに対する反論だと思います。

また、「敗者にポストが与えられる」「就職活動劇」という批判に対しては、閣僚のポストについては首相自身が、任せるべき役割があると思うなら任命すればよいし、そうでなければ選ばなければ良いので、批判には当たらないとのことでした。

     

これらはまあカメラの前では致し方のない建前論で、実際には西岡氏が主張されている通りだと思います。

鳩山氏は自身の前内閣において、数ヵ月後には<ここ数カ月の政策には友愛の政治は十分に見えない>と言うようになるほど理念において隔たりのあった管氏を副大臣のポストに任命しなければならないほど、複雑な駆け引きがあるのでしょう。(時事通信8月27日)

    

     

また、番組内で特に気になったのは、鳩山氏が自身の退任について「同志に迷惑をかけられなかった」という点を強調されており、またその後の管内閣での参院選について「(支持率の高いうちに実施できれば)もっと救える人(議員)が多かった」と述べられていることです。

また、代表選の行方については、「世論的には小沢氏は支持を受けにくい」としながらも、「国家運営をしていく上では小沢氏が適任」という見方を提示されていました。

そして続けて、野党と政策毎に協議し妥協点を模索していかなければならない現在のねじれ国会について、そこに新しい民主主義の在り方を見出すことができるという趣旨のことをおっしゃっています。

    

民主主義って一体何だったけ? と、こちらが眩暈を起こしそうになるほど政治業界ならではの偏狭な視点で語られています。

基本的に、現在日本に行われている政治は、ほとんど政治とは呼べない代物です。

たとえばアメリカ合衆国の政治学者デイヴィッド・イーストンは、政治を「社会に対して行われる諸価値の権威的配分」と定義しています。つまり、希少性ある富をめぐって起こる人々の間の紛争を、強制力を伴った適切な再配分を行うことによって解決すること、それが政治だというわけです。

このような定義における政治が戦後日本になかったことは、ある意味では当然のことだと思います。そもそも高度経済成長期において、程度の差はあれども、ほとんどすべての国民が豊かになっていったのですから、再分配を巡る紛争は切実さを持ちえません。

     

ですが、今後はそのような過去とは違ってくるだろうと予想されます。持てる者と持たざる者との対立や、価値観や理念の対立が、より鮮明でかつ切実なものとなってくるでしょう。

政治家は、自身がどの層のどのような利益を代表しているのかに対して自覚的にならざるを得なくなるでしょうし、一方で尖鋭化した対立関係においていかに「クーデター」や「内乱」や「戦争」を避けるのか、という知恵が必要となってきます。

現在の政治は残念ながら未だ過渡期にあって、昨年の政権交代は小さな予兆に過ぎません。

しかし、そろそろ国民に対して「国民の皆さまに…」と呼び掛ける政治屋に代わって、「私たち国民は…」と語り始める政治家が現れても良いのではないかと思うのですが。

     

以上

カンブリア宮殿2010年8月23日放送分のレビュー

以下、『カンブリア宮殿』2010年8月23日放送分のレビューです。

 

今週のカンブリア宮殿は、<流通スペシャル「地方スーパーの逆襲」>。

番組内容は、消費不況で全国においてスーパーの苦戦(19ヵ月連続で前年同月比割れ)が続いているなか、地方にて独自戦略を取ることで収益増を達成しているスーパーがある、というものでした。

     

大きく紹介されたのは2つのスーパーで、埼玉県を中心に関東地方に106店舗展開する中堅スーパーの「ヤオコー」と、福岡でたった一店舗の地場スーパーながら地域シェアNo.1を保ち続けている人気店「スーパーまるまつ」です。

     

今回の放送で非常に印象深かったのは、後述するように「ヤオコー」のパートが非常によく教育されていてとても質が高いということです。番組内においては正確に確認できませんでしたが、ヤオコーHPの募集要項を見てみると、彼らパートの基本時給は800円ですが年二回の賞与もあって、それほど待遇は悪くなさそうです。

基本的に、「パート」という雇用形態で働く従業員に対して投資することはなかなか考えられません。それは、「パート」は従業員にとっては「いつでも辞められる」ものであり、雇用主にとっては「いつ辞められてしまうか分からないが、解雇が容易」というものだからです。

「ヤオコー」において、パート従業員への職業訓練という投資が、高いパフォーマンスとして企業利益に還元されていることの一因は、番組でも強調された「彼らパート従業員の主体性・創造性を最大限に尊重する」という企業の姿勢に依っているのだと思います。まさにピーター・F・ドラッカーが提唱する組織マネジメントを現実化している企業ですね。

      

さて、まずは「スーパーまるまつ」に関して簡単に番組の流れを追いたいと思います。まずその特徴として挙げられたのは、とにかく安いということでした。大手のように多店舗で大量仕入れを行っているわけではないにも関わらず、スーパーまるまつは大手スーパーをしのぐ低価格を達成しています。

その手法として取り上げられたのは、「単品カレンダー」と「消化仕入れ」と呼ばれているものです。

「単品カレンダー」とはいわゆるカレンダー化されたデータベースのことで、その日の天候や集客数、各商品の売れ行きなどを情報として過去から現在に至るまで収集したものです。たしかに地方の人口流動の少ない地域であれば、都市部のスーパーとは比較にならないほどそういったデータベースは有効でしょう。

実際、「スーパーまるまつ」ではこうしたデータベースの有効活用によって、廃棄ロスを2%に抑えることに成功しているようです。全国のスーパーの平均が4%だそうですので、半分にとどめていることになります。

こうして無駄に仕入れずに売れ残りを出さないようにすることで、価格を低く設定しても収益を保持できるように取り組まれているとのことでした。

もう一つの「消化仕入れ」と呼ばれるものは、exBuzzwords用語辞典によると<陳列する商品の所有権を卸業者やメーカーに残しておき、小売店で売上が上がったと同時に仕入が計上される取引形態のこと>だそうです。

要するに小売店の棚を使ってメーカーが自社商品を売り、売れた分だけ小売店がメーカーへ支払うということです。「スーパーまるまつ」では、陳列する商品選びから品だし、価格設定までもがメーカーに委ねられているようです。

このように従来は小売店が担ってきた役割をメーカーに任せることで、人件費等を削減することができ、低価格での販売が実現しているということです。

なお、メーカーに対しては通常より2%高い仕入価格で買い取ることで合意がなされています。

また、さらに別の取り組みとして挙げられていたのは「二重価格」制度で、いわゆる会員価格というものを設定しているという点です。「スーパーまるまつ」の会員になると、通常よりも時には半分近い価格で購入することができます。また年に数回、会員の中から抽選で野球観戦や宝塚観劇が当たるといったサービスも提供されています。

こうした囲い込み戦略によって、「スーパーまるまつ」のお客さんは9割近くが会員(=固定客)だそうです。ポイント還元などではなく「その場で安い」というのは確かに魅力的ですね。さらに、こうして顧客を囲い込むことによって、チラシなどのプロモーションにかかるコストをセーブすることができ、そうして浮いた利益をさらなる会員サービスへと投資することで好循環を維持できているようでした。

     

正直言って、この独自戦略として紹介された「スーパーまるまつ」には違和感があったのですが、最後に記します。

     

次に、もう一つのメインで紹介されたスーパーが「ヤオコー」です。

ヤオコーの独自戦略として紹介されたのは主に次の二点です。「店長の権限が強い」こと、そして「パートの主体性を尊重していること」です。

特に、パートはヤオコーでは「パートナー」と呼ばれており、惣菜調理の訓練を受けた「惣菜マイスター」や、独自判断で仕入れまで行っているパートがいるというから驚きです。

また、パートによる主体的な取り組みを発表する会がしばしば行われているそうで、それぞれの店舗あるいはチームによる取り組みのプレゼンテーション会が行われ、優秀者は表彰されていました。

こうして従業員に責任と権限を与え、「給与」以外における「働くことの喜び」を感じとってもらい、彼らの自主性を活かしていくという取り組みが、結果的にヤオコーにおける大手スーパーの追随を許さない競争優位性を確保することに繋がっています。

冒頭でも述べましたが、番組で紹介されていた通りの経営で上手くいっているのであれば、組織運営として素晴らしい成功事例だと思います。

    

さて「スーパーまるまつ」に関する違和感ですが、まず「消化仕入れ」なるものですが、正直私はそこに独自性の欠片も感じませんでした。

メーカーに棚貸しをして売れた分だけ仕入れ代金を払う、また商品選びから品だしまでメーカーに丸投げというその方法は、はっきり言って不動産業とさほど変わらないのではないでしょうか。

メーカーとの間で合意がなされているので外野がとやかく言う事ではありませんが、メーカーか、もしくはメーカーの従業員など、どこかで誰かが不当に搾取されているアンフェアな状況があるのではないかという疑念が残りました。余計なお世話ですが…。

またデータベースも画期的な区分法が採用されているわけではなく、社長の松岡義一氏がその日の販売数量を言い当てる場面が番組でハイライトされていましたが、田舎の非流動的な小規模マーケットにおいて慣習化された人々の行動予測はデータから正確に導き出される、というだけのことでいまいち革新性を感じません。

結局は、「消化仕入れ」と「行動予測にもとづく仕入れ量の最適化」という二つの方法で得た利益を、低価格&サービスという固定客の囲い込みに投資しているということで、ぱっとしないな、というのが正直なところでした。「消化仕入れ」も上記に述べたように地方独特のアンフェアさがあるような気がするという疑念を拭い切れず、独自戦略と銘打つには物足りないものを感じました

   

以上。

JMM598M - 円高をどう考えるか?

以下、『Japan Mail Media』月曜版のNo.598に対するレビューです。

今週のJMM月曜版における設問は、「円高が進んでいるようです。以前、為替(外国)といえば対ドルでした。今は、ユーロが誕生し、中国元の存在感も増して、複雑になっている気がします。現在の円高を、どのように考えればいいのでしょうか。」というものでした。

     

その点について、多くの回答者が「実効為替レート」で判断すべきだと述べられていました。実効為替レートとは、私たちが普段テレビや新聞で目にしている特定国間の為替レートにだけ着目する名目為替レートとは異なり、諸通貨間における相対的な実力を考慮したものとなっています。

たとえばJMM598Mのなかで、真壁氏(信州大学経済学部教授), 中島氏(伊藤忠商事金融部門チーフエコノミスト), 山崎氏(経済評論家), 北野氏(JPモルガン証券日本株ストラテジスト), 土居氏(慶應義塾大学経済学部教授)などが、「実効為替レート」に言及されています。

その上で、現在の名目為替レート上の円高(対米ドル85円)は、実効為替レート上はそれほど憂慮すべき円高状況にはないということが述べられています。

     

たとえばJPモルガンの北野氏は、

JPモルガンの実質実効円レートをみると、2010年7月の値は、1970年以降の平均値とほぼ同じ水準です。現在の円レートは、円高でもなければ、円安でもありません。歴史的に見て、輸出企業にとって不利でもなければ有利でもない中立的な水準です。

とおっしゃっています。

また伊藤忠商事の中島氏は、

実質(実効為替レート)で見ると、現時点は2年ほど前よりは円高になっていますが、85年プラザ合意以降の円高期、95年の史上最高値の時、2000年のITバブル期よりも円安なのです。

と書かれています。その上で、今回の円高は輸出企業においては「競争力」の問題というよりも「予算達成」の問題が強いという見方をされています。

同様のことを慶應義塾大学の土居教授も指摘されていて、

この現下の円高は、日本経済の今後に暗雲を投げかけているとの見方が強くあります。一つの背景としてありえるのは、想定外の円高が急激に起きて、その備えができていなかった、ということでしょう。輸出産業では、1995年時の為替レートの水準に比べれば原価の円高は実質実効為替レートで見てそれほどの円高でい
といえども、名目為替レートで想定外の円高が起こることで海外での売上や利益が減るという実害に直面しますから、それはそれとして深刻です。

と述べられています。

     

一方、多少違った視点から分析されているのが外資系運用会社の金井伸郎氏で、金井氏は近年の通貨をパッケージとしてリスク分散する投資手法に触れられた上で、最近の通貨取引の動向は発行国のファンダメンタルズ(経済実態)よりも<投資家のリスク選好の動向によるポジションの拡大・縮小の影響が大きくなる>ということを述べられています。その上で、日本の経済実態の良し悪しに関わらず、市場のリスク回避の役割として反射的に円が買われているとのことです。

   

また今回の設問に絡んで、生命保険関連会社勤務の杉岡氏やメリルリンチ日本証券のストラテジスト菊地氏などは、現在のように欧米を含む世界的な経済状況が悪化しているなかで、そうした円が負っている役割を人民元が本来は果たすべきだということを付け加えられています。

   

こういった議論とは別に、経済評論家の山崎氏による「円高でメリットを享受する利益集団とは?」といった設問を立てておられますが、氏によればそれは公務員だということです。

解雇の心配がなく、収入におけるマイナスの変動が極めて少ない公務員とその配偶者にとっては、円高は実質収入増となるというわけです。

このこと自体は当然といえば当然のことで、同様の議論を別のところで見かけたことがありますが、とはいえ「円高」を考える上では大事な指摘だなと思いました。

     

以上。